サガンとサルトル

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日経新聞の連載「奇縁まんだら」は欠かさず読んでいます。11月2日も興味深い内容がありました。「サルトルの死ぬ1年ほど前から2週間毎にふたりでデートし、食事していたというレストランにも行った。二人は誕生日が6月21日で、サガンはそれを喜び、サルトルの文学と人間に絶大な賛歌を捧げていた。そこではふたりの名を冠してそのテーブルが残っていた。すでに盲目だったサルトルに、サガンはそのテーブルでやさしく肉を切ってあげていたのだ。」

筆者は瀬戸内寂聴。この三人のつながりに興味がつきない。サルトルといえば実存派の創始者。沖縄の集団自決裁判で被告となった、大江健三郎とおなじく、戦闘的で誠実な人間像が思い浮かんでくる。ちなみにさし画は横尾忠則。彼もかって表現者ながら政治的には急進的な立場をとっていたのです。

サガンとサルトルとの組み合わせには驚いたが、寂聴が披露するのも珍しいという印象。ちなみに、寂聴は父が故郷の徳島で20代、田代愁を名乗って詩を書いていたときからの有名人。寂聴は冤罪事件の被害者、ラジオ商殺しの富士さん救援でも大活躍された。富士さんは当時、とても活動的な女性ゆえ、誤解も少なくなく孤立し、無実のまま服役してあきらめていたのを励ましつづけたのでした。あまのや時代の旧知、故郷で活躍しているエッセイスト橋本潤一朗が寂聴と親しく、この人間関係の重層した奇縁にあらためて思いが及びました。

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このページは、天野博が2008年11月 2日 16:42に書いたブログ記事です。

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