渡辺千万子さん

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9月24日、法然院前、哲学の道疎水べりで「アトリエ・ド・カフェ」を経営していた渡辺千万子さんと久しぶりにホテル日航プリンセス京都でお会いしました。もう、80歳を越えたそうです。20歳代、谷崎潤一郎の最後の愛人といわれ、文学史上でなぞめいた人でした。それは頭のよい活発な女性で大文豪を困惑させたのでした。谷崎は亡くなる前に、千万子さんからの手紙をすべて、返してきたと彼女は話していました。手紙もいわば作品、のちに公開されることもあることを想定しているのですね。谷崎からの手紙はもちろん、千万子さんの手元に大切に保存されていましたから、往復書簡集が刊行できたというわけです。

千万子さんは橋本関雪にちなむ疎水べりに花咲く「関雪桜」で有名な、店の前の桜を大切にしておられました。哲学の道がいまほど有名でないときからのことです。その橋本関雪の孫にあたります。母が高折家へ嫁ぎ、高折家と縁戚になる園城家がプリンセスホテル京都を創業。名門の一家でした。千万子さんの30歳代、40歳代は京都社交界の花、それはきれいな方でした。私は当時、経済力があり少しは支えられたのではと振り返っています。

引退後は娘さんのいる東京へ。娘さんは、たをりさんは京都造形大へ講師に来られた事が有り、たまたまそのマンションをお世話しました。担当は事務局の牧野さんでした。たをりさんは「祖父の思い出」を出版しておられます。平安時代から抜け出てきたような美しい人です。彼女は、野田秀樹と劇団夢の遊眠社を結成し行動をともにした東大時代の友人、高萩宏さんと結婚。あくまで華麗な一家です。

アールエスティ創業以来、一万組を超えるお客様がありますが、千万子さんはなかでも一番ユニークなお一人でしょう。

伝説の人の伝説の店「アトリエ・ドカフェ」は演奏会の定期的な開催、谷崎文学をテーマにした講演など知る人ぞ知る名所でした。武庫川女子大学教授たつみ都志さんが催した「刺青」は私も大好きな作品で、パフォーマンスもあって記憶に鮮明です。この店は今、大学時代の後輩、早川義輝が経営しているカフェテラッツァに。早川とは学生時代からの友人、終わりのない同志的関係が続くでしょう。かつて、桧森孝雄追憶集水平線の向こうにを刊行できたのは彼の力が大きいのでした。彼は今、BOKUDENという新雑誌を出版にこぎつけ、波紋を広げています。人物です。

造形大の牧野さんは大学時代の友人の紹介。「10.19」のメンバーですし、足立正生監督「幽閉者」上映に力をお貸しいただきました。彼を紹介した細川さんは当時、匠設計事務所を経営。そのスタッフだった松本健さんとはその後、第一次マンション問題研究会にお誘いし長いおつき合いとなっています。

 まったく思いもつかない不思議な縁だと言わざるをえません。

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このページは、天野博が2008年10月10日 19:40に書いたブログ記事です。

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